「ナルニア国物語 カスピアン王子の角笛」を観る
2008年 06月 21日
ナルニア国物語第2章、「カスピアン王子の角笛」を観てきました。
“児童文学作品は姪と”も定例化してきましたが、作品の主人公・ペベンシー四兄妹が眩しい程の成長と同じく、すっかりおチビでなくなった彼女とのデートは、めっきり彼女の都合が優先だったりしますー。
今回、多忙の彼女はC.S.ルイスの原作を読んでおらず(勉学多忙につき)、純粋に映画作品のみの感想でしたが「とっても満足」だったようです。原作読破の私も同感です。
ただ、次回作出演も決定のカスピアン王子役、ベン・バーンズの‘あご’は好きじゃないらしい(笑)。私はエドマンド王(スキャンダー・ケインズ)がいいなー(爆笑)
↓ここからネタばれ少々あり。原作本とはちょっとだけ違うー
ナルニア国を冬の魔女から取り返したペベンシー兄妹は、ロンドンのとある駅にいた。
夢の様なナルニアでの暮らしから実際の世界に帰ってきて一年。スーザン(アナ・ポップルウェル)はすっかり娘さんらしく、まだケンカっぱやいがピーター(ウィリアム・モーズリー)も大人への階段を上っている。一番ナルニアを懐かしんでいるのは末娘のルーシー(ジョージー・ヘンリー)で、いきなり襲ってきた「妙な感覚」にも、「これって魔法よね!」と敏感に応じる。
他の児童文学が映画化される時、‘現代(いま)’に合わせた解釈や設定に変えている脚本が多い。しかし、この「ナルニア」シリーズはこの先も原作に忠実に描こうと決めているようだ。導入部も原作の「章」の入れ替えやmixをしてより効率良く鑑賞者に現状を伝える様にしてるが、原作そのまま、の印象といって良いのでは。納得できる出来栄えです。
妙な感覚の後、ペベンシー兄妹が立っていたのは、ナルニアの大地!・・・但し1300年後の。いまやナルニアはテルマール人によって侵略され、ナルニアの人々(セントールや木々や動物も)は“死した”と言われる世界だった。
ペベンシー兄妹がナルニアにきたのは、誰かが角笛を吹いたから。そう、それこそがカスピアン王子。テルマール人の王子ながら叔父に命を狙われ、ナルニアの人々と共存の世界を築こうと助けを求めたのだ。
映画ではなんとなく闇雲に吹いちゃった感じがしますが、ままその辺りはヨシでしょう。
1300年も時が過ぎてナルニアの中では伝説化されてしまっている、ペベンシー兄妹=王と王女に出会ったカスピアンもドワーフ(小人)も、なんかガッカリします「少年?子供!?」みたいな感じで。絶対的な存在、アスランさえも象徴くらいの扱いで、ひたすらに信じるのはルーシーのみ。
原作よりも映画の方が、そういった「対人間」の気持ちや印象が際立っていて、感情移入し易かったかな。特に、カスピアンの叔父・憎っきミラーズの側近達が、常々「仕えるに足らず」と感じている様は本ではまるで、小噺みたいな印象でしたけど。
後は、やはり見せ場の戦闘シーンと決闘シーンは映像ならではの迫力と説得力で、魅了されました。
↓この下ネタバレありあり。
大人になったらナルニアにはもう戻って来られない、とか、時空を移動できる“窓(入り口)”があるとか、ヨーロッパの児童文学には共通の思想というか宗教観のようなモノがあると感じます。
アスランを信じ望んだ“頼もしの君”ルーシーが、ナルニアの方向を司っているようにも感じました。勿論、ペベンシー四兄妹の(今回はカシピアン王子も)協調と協力がないとダメなんですけどね。
大人になったら受け入れなくちゃならない現実や、忘れなくちゃならない空想的な事柄を、実は皆好ましく感じていなくて、こんな風に時代を超えても児童文学が広く受け入れられるのでは(特に現代は)と思ったりします。なんちゃって。
とりあえず次回作も姪と見られるといいけどなー
「ナルニア国物語 カスピアン王子の角笛」@映画生活
“児童文学作品は姪と”も定例化してきましたが、作品の主人公・ペベンシー四兄妹が眩しい程の成長と同じく、すっかりおチビでなくなった彼女とのデートは、めっきり彼女の都合が優先だったりしますー。
今回、多忙の彼女はC.S.ルイスの原作を読んでおらず(勉学多忙につき)、純粋に映画作品のみの感想でしたが「とっても満足」だったようです。原作読破の私も同感です。
ただ、次回作出演も決定のカスピアン王子役、ベン・バーンズの‘あご’は好きじゃないらしい(笑)。私はエドマンド王(スキャンダー・ケインズ)がいいなー(爆笑)
↓ここからネタばれ少々あり。原作本とはちょっとだけ違うー
ナルニア国を冬の魔女から取り返したペベンシー兄妹は、ロンドンのとある駅にいた。
夢の様なナルニアでの暮らしから実際の世界に帰ってきて一年。スーザン(アナ・ポップルウェル)はすっかり娘さんらしく、まだケンカっぱやいがピーター(ウィリアム・モーズリー)も大人への階段を上っている。一番ナルニアを懐かしんでいるのは末娘のルーシー(ジョージー・ヘンリー)で、いきなり襲ってきた「妙な感覚」にも、「これって魔法よね!」と敏感に応じる。
他の児童文学が映画化される時、‘現代(いま)’に合わせた解釈や設定に変えている脚本が多い。しかし、この「ナルニア」シリーズはこの先も原作に忠実に描こうと決めているようだ。導入部も原作の「章」の入れ替えやmixをしてより効率良く鑑賞者に現状を伝える様にしてるが、原作そのまま、の印象といって良いのでは。納得できる出来栄えです。
妙な感覚の後、ペベンシー兄妹が立っていたのは、ナルニアの大地!・・・但し1300年後の。いまやナルニアはテルマール人によって侵略され、ナルニアの人々(セントールや木々や動物も)は“死した”と言われる世界だった。
ペベンシー兄妹がナルニアにきたのは、誰かが角笛を吹いたから。そう、それこそがカスピアン王子。テルマール人の王子ながら叔父に命を狙われ、ナルニアの人々と共存の世界を築こうと助けを求めたのだ。
映画ではなんとなく闇雲に吹いちゃった感じがしますが、ままその辺りはヨシでしょう。
1300年も時が過ぎてナルニアの中では伝説化されてしまっている、ペベンシー兄妹=王と王女に出会ったカスピアンもドワーフ(小人)も、なんかガッカリします「少年?子供!?」みたいな感じで。絶対的な存在、アスランさえも象徴くらいの扱いで、ひたすらに信じるのはルーシーのみ。
原作よりも映画の方が、そういった「対人間」の気持ちや印象が際立っていて、感情移入し易かったかな。特に、カスピアンの叔父・憎っきミラーズの側近達が、常々「仕えるに足らず」と感じている様は本ではまるで、小噺みたいな印象でしたけど。
後は、やはり見せ場の戦闘シーンと決闘シーンは映像ならではの迫力と説得力で、魅了されました。
↓この下ネタバレありあり。
大人になったらナルニアにはもう戻って来られない、とか、時空を移動できる“窓(入り口)”があるとか、ヨーロッパの児童文学には共通の思想というか宗教観のようなモノがあると感じます。
アスランを信じ望んだ“頼もしの君”ルーシーが、ナルニアの方向を司っているようにも感じました。勿論、ペベンシー四兄妹の(今回はカシピアン王子も)協調と協力がないとダメなんですけどね。
大人になったら受け入れなくちゃならない現実や、忘れなくちゃならない空想的な事柄を、実は皆好ましく感じていなくて、こんな風に時代を超えても児童文学が広く受け入れられるのでは(特に現代は)と思ったりします。なんちゃって。
とりあえず次回作も姪と見られるといいけどなー
「ナルニア国物語 カスピアン王子の角笛」@映画生活
by bijomaru0330am | 2008-06-21 23:45 | 映画鑑賞