「僕のピアノコンチェルト」を観る
2007年 10月 26日
芸術の秋にふさわしい、全編に高尚なピアノ音楽の流れるスイス映画「僕のピアノコンチェルト」を観てきました。
天才少年とそのおじいちゃんの心温まる作品、ということで、「リトル・ダンサー」や「ニューシネマパラダイス」系のニュアンスを期待しましたが、もっと現代っ子のヴィトス(テオ・ゲオルギュー:モノ本の天才ピアニスト)少年と、とってもキュートでユーモア溢れるおじいちゃん(ブルーノ・ガンツ)のちょっと考えされられてちょっと笑えて、心温まる現代劇でした。
↓ネタバレあり。但し字面で書くには‘ラ・カンパネッラ’(の演奏)の如し。
職業婦人のお母さん(ヘレン)と発明家のお父さん(レオ)の間に生まれたヴィトスは、IQが測れないほどの賢い男の子。そのせいかちょっとこまっしゃくれさんで、大人達を困らせています。その才能の片鱗が見えたのは小さい時にバースディで贈られたおもちゃのピアノを弾いた時のこと。それ以来お母さんはピアニストにしようと入れ込みます。ヴィトスはピアノだけではなく、知性も学力も記憶力もよく、12歳の時には飛び級して高校に通います。しかし自分より随分年上の学友とうまくいくはずはなく、先生にも尊敬の念を抱けません。校内での浮いた存在に、卒業試験を受けて高校さえも出たらどうだ、と校長先生は勧めます。
どちらかというと、フツーの家庭(もうちょっといいかな?)に生まれたヴィトス。お父さんが発明家、といっても工業デザインやコンピューターが得意な感じの堅実なイメージ。お母さんも仕事を持ち、住む家は集合住宅、これがデザイナーズ?って感じでシャレた建物。ヨーロッパにはこの手の集合住宅がよくありますが、東京の臨海部にも似た感じのマンション群があって実に身近なイメージでした。
ヨーロッパといえば、舞台であるスイスはドイツ語を話すのですねぇ、無知な私には意外な感じが(スイス語じゃないのね)。劇中、「スイス・ドイツ語で話して下さい。」、というような言語を指定するシーンがあります。パブリックな場所では英語を話したりするのは欧州ではよくあることですが、スイスでも母国語の他、めっきり英語を話すそうです。お母さんがヴィトスをしかる時に英語の時がありますし、ヴィトス自身もちゃんぽんで話してる場面もあります。地理的・歴史的背景で、国内で使われる言語がばらばらな訳だそうで、英語を子供の時から国語並みに使えるヨーロッパ人にはこの時点でもうアジア国は遅れをとっている、と感じます。
さて、作品のお話に戻って。
ヴィトスが天才と判明、オカネを掛けて教育していくことに決めたヘレンですが、ちょうどレオも国内一流メーカーに就職が決まり、生活は都合よく安定の方向に向かっていた。そんな浮かれたレオ夫婦の様子を時に現実的に、時に言葉優しく、ヘレンに紳士的なレオの父・ヴィトスのおじいちゃんが見守ります。オカネの心配がなくなっていく(レオが出世していく)と、だんだん食卓の上が豪華になり、室内の装飾が洗礼されていくのですが、それに比例して(正直累乗)ヘレンの英才教育は熱を帯びます。
ヘレンはヴィトスの教育に妨げとなると思うと、なんでもだんだんにヴィトスから奪うのです。ピアノの先生・ベビーシッター・おじいちゃんのお仕事の手伝い(家具職人だからノコを使う)。ヴィトスの息苦しさは、時に大人を馬鹿にし、時に赤ん坊のように癇癪を起こし、時にその場から逃げ出す・・・おじいちゃんのところに行く。
別に天才でなくても親のウルサい干渉は今風に書くと「ウザい」ですよね、それが過大な期待で押し寄せてくる。賢いだけに、よく理解できるし、ましてや「自分はやりこなせる」と解っているのでより性質が悪い。10歳そこらの子供にはキツいでしょうね、それを淡々と本物の天才・テオ君が初映画とは思えない(やはり天才!お母さんが女優さんなんだって)演技でリアルな天才をみせてくれます。
ヴィトスはおじいちゃんが大好き。おじいちゃんにとってヴィトスは天才でもただの可愛い孫なんですよね、それがヴィトスにはちゃんと伝わっている。脳みそは天才でも感情や経験値は子供なヴィトスは、素直な感情をおじいちゃんにぶつける(チェスはおじいちゃんに勝つけど)。
人生は生きていくには難しい局面がいろいろありますよね、大概大人になっていく途中にその障害にぶちあたりますが、ヴィトスは12歳でブチあたる。人生の選択を迫られ、天才であることを捨てるヴィトス(どうやって捨てたかは是非劇場で)。同年代の子供と同じ様な生活をする事になります。
しかし、ヴィトスが普通になると、これまた比例して、ヘレンは過剰に落ち込みレオも仕事で行き詰まり、果てには解雇のピンチに。お酒に溺れがちになるヘレンと、自暴自棄になるレオ。それを見て、思い悩み天才は封印を解くのです。
実はおじいちゃんはヴィトスの“凡人のふり”を知っていたのですが、ヴィトスが自分で人生を決めるまで(約束では墓場まで)内緒にする約束をしたんです。
経済的に困窮した親を救うためにその英知(頭脳)を使って金策をするヴィトス。そのおじいちゃんにも協力を要請。
「株」ね、株。(大人じゃないと相場に入れないでしょ)
いっしょに観賞した連れが、「株は安心だよ、損するのは元金だけ、もうかれば何十倍。」ってヴィトスの言葉に至極納得してましたが、当たり前!じゃん!その元金スルのが凡人なのよ~っ
この辺りはちょっと子供のくせに、って生意気にも感じますが小気味よかったです。
何より、ピアノを巧く弾けないふりをしていたヴィトスが、実は自分の欲求に抗えず、巨匠のCDをかけ、その曲間をぬって(傍から聞いているとCDか演奏か解らないように)自らピアノを思い切り奏でだすあたり、ちょっと感動します。
弾く曲弾く曲、難しいリストやシューマンの名曲を見事に演奏するヴィトス・・・テオ。
その素晴らしさは、映画でなくても彼の演奏を聴いてみたくなりました。これだけでも価値ある作品です。
エンディング「リトル・ダンサー」の様に晴れの舞台で堂々と演奏するヴィトスに感極まる両親、のシーンはお決まりでも気持ちよく、爽やかに観終える事が出来る作品です。
あのグランドピアノ、YAMAHAなのよ~、なんでいまホール工事中なんでしょ、ヤマハの関係者さん、自分トコで試写したかったでしょうにね、残念だわ。
「僕のピアノコンチェルト」@映画生活
天才少年とそのおじいちゃんの心温まる作品、ということで、「リトル・ダンサー」や「ニューシネマパラダイス」系のニュアンスを期待しましたが、もっと現代っ子のヴィトス(テオ・ゲオルギュー:モノ本の天才ピアニスト)少年と、とってもキュートでユーモア溢れるおじいちゃん(ブルーノ・ガンツ)のちょっと考えされられてちょっと笑えて、心温まる現代劇でした。
↓ネタバレあり。但し字面で書くには‘ラ・カンパネッラ’(の演奏)の如し。
職業婦人のお母さん(ヘレン)と発明家のお父さん(レオ)の間に生まれたヴィトスは、IQが測れないほどの賢い男の子。そのせいかちょっとこまっしゃくれさんで、大人達を困らせています。その才能の片鱗が見えたのは小さい時にバースディで贈られたおもちゃのピアノを弾いた時のこと。それ以来お母さんはピアニストにしようと入れ込みます。ヴィトスはピアノだけではなく、知性も学力も記憶力もよく、12歳の時には飛び級して高校に通います。しかし自分より随分年上の学友とうまくいくはずはなく、先生にも尊敬の念を抱けません。校内での浮いた存在に、卒業試験を受けて高校さえも出たらどうだ、と校長先生は勧めます。
どちらかというと、フツーの家庭(もうちょっといいかな?)に生まれたヴィトス。お父さんが発明家、といっても工業デザインやコンピューターが得意な感じの堅実なイメージ。お母さんも仕事を持ち、住む家は集合住宅、これがデザイナーズ?って感じでシャレた建物。ヨーロッパにはこの手の集合住宅がよくありますが、東京の臨海部にも似た感じのマンション群があって実に身近なイメージでした。
ヨーロッパといえば、舞台であるスイスはドイツ語を話すのですねぇ、無知な私には意外な感じが(スイス語じゃないのね)。劇中、「スイス・ドイツ語で話して下さい。」、というような言語を指定するシーンがあります。パブリックな場所では英語を話したりするのは欧州ではよくあることですが、スイスでも母国語の他、めっきり英語を話すそうです。お母さんがヴィトスをしかる時に英語の時がありますし、ヴィトス自身もちゃんぽんで話してる場面もあります。地理的・歴史的背景で、国内で使われる言語がばらばらな訳だそうで、英語を子供の時から国語並みに使えるヨーロッパ人にはこの時点でもうアジア国は遅れをとっている、と感じます。
さて、作品のお話に戻って。
ヴィトスが天才と判明、オカネを掛けて教育していくことに決めたヘレンですが、ちょうどレオも国内一流メーカーに就職が決まり、生活は都合よく安定の方向に向かっていた。そんな浮かれたレオ夫婦の様子を時に現実的に、時に言葉優しく、ヘレンに紳士的なレオの父・ヴィトスのおじいちゃんが見守ります。オカネの心配がなくなっていく(レオが出世していく)と、だんだん食卓の上が豪華になり、室内の装飾が洗礼されていくのですが、それに比例して(正直累乗)ヘレンの英才教育は熱を帯びます。
ヘレンはヴィトスの教育に妨げとなると思うと、なんでもだんだんにヴィトスから奪うのです。ピアノの先生・ベビーシッター・おじいちゃんのお仕事の手伝い(家具職人だからノコを使う)。ヴィトスの息苦しさは、時に大人を馬鹿にし、時に赤ん坊のように癇癪を起こし、時にその場から逃げ出す・・・おじいちゃんのところに行く。
別に天才でなくても親のウルサい干渉は今風に書くと「ウザい」ですよね、それが過大な期待で押し寄せてくる。賢いだけに、よく理解できるし、ましてや「自分はやりこなせる」と解っているのでより性質が悪い。10歳そこらの子供にはキツいでしょうね、それを淡々と本物の天才・テオ君が初映画とは思えない(やはり天才!お母さんが女優さんなんだって)演技でリアルな天才をみせてくれます。
ヴィトスはおじいちゃんが大好き。おじいちゃんにとってヴィトスは天才でもただの可愛い孫なんですよね、それがヴィトスにはちゃんと伝わっている。脳みそは天才でも感情や経験値は子供なヴィトスは、素直な感情をおじいちゃんにぶつける(チェスはおじいちゃんに勝つけど)。
人生は生きていくには難しい局面がいろいろありますよね、大概大人になっていく途中にその障害にぶちあたりますが、ヴィトスは12歳でブチあたる。人生の選択を迫られ、天才であることを捨てるヴィトス(どうやって捨てたかは是非劇場で)。同年代の子供と同じ様な生活をする事になります。
しかし、ヴィトスが普通になると、これまた比例して、ヘレンは過剰に落ち込みレオも仕事で行き詰まり、果てには解雇のピンチに。お酒に溺れがちになるヘレンと、自暴自棄になるレオ。それを見て、思い悩み天才は封印を解くのです。
実はおじいちゃんはヴィトスの“凡人のふり”を知っていたのですが、ヴィトスが自分で人生を決めるまで(約束では墓場まで)内緒にする約束をしたんです。
経済的に困窮した親を救うためにその英知(頭脳)を使って金策をするヴィトス。そのおじいちゃんにも協力を要請。
「株」ね、株。(大人じゃないと相場に入れないでしょ)
いっしょに観賞した連れが、「株は安心だよ、損するのは元金だけ、もうかれば何十倍。」ってヴィトスの言葉に至極納得してましたが、当たり前!じゃん!その元金スルのが凡人なのよ~っ
この辺りはちょっと子供のくせに、って生意気にも感じますが小気味よかったです。
何より、ピアノを巧く弾けないふりをしていたヴィトスが、実は自分の欲求に抗えず、巨匠のCDをかけ、その曲間をぬって(傍から聞いているとCDか演奏か解らないように)自らピアノを思い切り奏でだすあたり、ちょっと感動します。
弾く曲弾く曲、難しいリストやシューマンの名曲を見事に演奏するヴィトス・・・テオ。
その素晴らしさは、映画でなくても彼の演奏を聴いてみたくなりました。これだけでも価値ある作品です。
エンディング「リトル・ダンサー」の様に晴れの舞台で堂々と演奏するヴィトスに感極まる両親、のシーンはお決まりでも気持ちよく、爽やかに観終える事が出来る作品です。
あのグランドピアノ、YAMAHAなのよ~、なんでいまホール工事中なんでしょ、ヤマハの関係者さん、自分トコで試写したかったでしょうにね、残念だわ。
「僕のピアノコンチェルト」@映画生活
by bijomaru0330am | 2007-10-26 23:45 | 試写会