「しゃべれどもしゃべれども」を観る
2007年 05月 30日
久しぶりに何もかも気に入った邦画に出会いました。
きっと今の私のバイオリズムに「ぴたっ」と一致したのでしょう、とっても気分良く劇場を後に出来た、「しゃべれどもしゃべれども」を観てきました。
大体題名がいい。‘ひらがな’で二度繰り返す。念を押す様に二度重ねる言葉は、聞き取りやすいし、その心持が伝わるので、私は会話でも良く使います。
「~すれども」は「~しても」ですから、「やってもやっても」「何回やってみても(ままならない)」ですか。
それから風景がいい。現代の東京で‘江戸’を感じる風景が(最近は川の手、とか運河族、なんていうんですってね)さらり、と出てくるあたりいい。落語家さんの話だから浅草は無論、佃・清澄・越中島・両国、都電荒川線やら、会話の中には東雲、なんてのも出てくる。実のところ、私にとっては地元と思える界隈や身内が実際に住んでいる場所がモロにロケ地だったのも共感、共感。
落語家の話、と書きましたが、ジャニーズTOKIOの国分太一さんが(着物好きで始終着物の姿の)二つ目の「三つ葉」という主役さんを演じています。
彼は東京っ子だそうですが、江戸っ子らしいシャキッとした口調で、でも悩める‘二つ目’を好演したと思います。(サウスポーの彼が右手で蕎麦をすするのは大変そうでしたが)
↓ここからネタバレあり。。
ここのところ、うだつの騰がらない今昔亭三つ葉は早くに両親をなくし、茶道教室をする祖母(八千草香)と二人暮らし。師匠小三文(伊東四朗)の語り口が大好きで、仲間内にけなされても新作を進められても、古典落語にこだわる頑固な一面も。祖母の生徒さんのひとりにこっそりホの字の三つ葉は、彼女の甥っ子に落語の稽古をつけて貰いたい、と頼まれる。この子、村林(松永悠希)は転校生で、関西弁をネタにイジメにあっているらしい。そんな時、師匠のカルチャースクールに仏頂面の美女がひとり。途中退席する彼女、十河(香里奈)を見咎めた三つ葉は無愛想で口の効き方が解からない彼女にも落語を教えることになる。そこへもう1人プロ野球を引退し、解説者として仕事をするも、ちっとも解説になっていない湯河原(松重豊)も現れて三人で「まんじゅうこわい」を稽古し始めるが・・・。
HPを観てもらうとわかるのですが、「まんじゅこわい」とは落語のお話のこと。
この世で怖いものは何か話すうち、「饅頭が怖い!」と言い出す奴がいて、そいつを怖がらせようと饅頭を沢山置いておくも、実は喰いたいばっかりで嘘をついた、という話。
落語は座ったまんまの一人芝居と解釈すると、1人で二役三役と忙しい上に、めりはりがないとダランダランと‘伸びた蕎麦’みたいだし、間がわるいと‘気の抜けた炭酸’みたい。
それを素人、しかも若干やる気あんの?みたいな三人に教えなくちゃならなくなった三つ葉。江戸っ子らしく、オトコに二言はない!と気風良く(・・・うむ)引き受けるが、これがこれが。一筋縄ではいかない。
季節は初夏から夏で、昔からの一軒家に集まる三人に出されるのは麦茶だったりカキ氷だったり。風鈴も扇風機も風情があっていい感じ。だが、いま一つ涼しげに見えないところが、三人のかったるい感じを出しているし、ひとん家なのにマンガは読むは、TVはつけるは、事ある毎にモメるは。まずまず玄関に「鍵」かかっていないし。でも古臭くは・・・感じないのですよ。
その玄関扉なんですが、両開きの引き戸なんですが、三つ葉が後ろ手に両手で閉めるシーンが多いんです。こうピシャっとね、それがなんとも江戸っ子の三つ葉の気風っていうのか、性格が判るっていうか、好きでした。
村林は関西弁の上方落語で話したい、というし、十河はなにやら失恋をひきずっているみたいだし、湯河原は日頃の毒舌とは打って変わって解説ではからきし。
しかも三つ葉は一門の落語会があって新しい古典も学ばなくちゃならないし、本当にしゃべれどもしゃべれども先が見えない日々に失恋もしちゃう。
しゃべれどもしゃべれども上手くならない(必死な演技ですがマジだったんでは?)、この必死に話すお題が「火焔太鼓」。ちょっと感動しますよ。
この様子を祖母の八千草さんが見守る感じがいい。師匠の伊東さんもいい。
まとめていうと、全体的に‘様子’がいい。
落語が好きならばその部分を中心に観るもよし、“通”ならば、ツッコミながら観るもよし、私は香里奈ちゃんの「馬っ鹿じゃないの!」のセリフ(このセリフを言わせて日本一は今のトコ彼女、と思う)が聞けてそれまた満足~な、作品でした。
きっと今の私のバイオリズムに「ぴたっ」と一致したのでしょう、とっても気分良く劇場を後に出来た、「しゃべれどもしゃべれども」を観てきました。
大体題名がいい。‘ひらがな’で二度繰り返す。念を押す様に二度重ねる言葉は、聞き取りやすいし、その心持が伝わるので、私は会話でも良く使います。
「~すれども」は「~しても」ですから、「やってもやっても」「何回やってみても(ままならない)」ですか。
それから風景がいい。現代の東京で‘江戸’を感じる風景が(最近は川の手、とか運河族、なんていうんですってね)さらり、と出てくるあたりいい。落語家さんの話だから浅草は無論、佃・清澄・越中島・両国、都電荒川線やら、会話の中には東雲、なんてのも出てくる。実のところ、私にとっては地元と思える界隈や身内が実際に住んでいる場所がモロにロケ地だったのも共感、共感。
落語家の話、と書きましたが、ジャニーズTOKIOの国分太一さんが(着物好きで始終着物の姿の)二つ目の「三つ葉」という主役さんを演じています。
彼は東京っ子だそうですが、江戸っ子らしいシャキッとした口調で、でも悩める‘二つ目’を好演したと思います。(サウスポーの彼が右手で蕎麦をすするのは大変そうでしたが)
↓ここからネタバレあり。。
ここのところ、うだつの騰がらない今昔亭三つ葉は早くに両親をなくし、茶道教室をする祖母(八千草香)と二人暮らし。師匠小三文(伊東四朗)の語り口が大好きで、仲間内にけなされても新作を進められても、古典落語にこだわる頑固な一面も。祖母の生徒さんのひとりにこっそりホの字の三つ葉は、彼女の甥っ子に落語の稽古をつけて貰いたい、と頼まれる。この子、村林(松永悠希)は転校生で、関西弁をネタにイジメにあっているらしい。そんな時、師匠のカルチャースクールに仏頂面の美女がひとり。途中退席する彼女、十河(香里奈)を見咎めた三つ葉は無愛想で口の効き方が解からない彼女にも落語を教えることになる。そこへもう1人プロ野球を引退し、解説者として仕事をするも、ちっとも解説になっていない湯河原(松重豊)も現れて三人で「まんじゅうこわい」を稽古し始めるが・・・。
HPを観てもらうとわかるのですが、「まんじゅこわい」とは落語のお話のこと。
この世で怖いものは何か話すうち、「饅頭が怖い!」と言い出す奴がいて、そいつを怖がらせようと饅頭を沢山置いておくも、実は喰いたいばっかりで嘘をついた、という話。
落語は座ったまんまの一人芝居と解釈すると、1人で二役三役と忙しい上に、めりはりがないとダランダランと‘伸びた蕎麦’みたいだし、間がわるいと‘気の抜けた炭酸’みたい。
それを素人、しかも若干やる気あんの?みたいな三人に教えなくちゃならなくなった三つ葉。江戸っ子らしく、オトコに二言はない!と気風良く(・・・うむ)引き受けるが、これがこれが。一筋縄ではいかない。
季節は初夏から夏で、昔からの一軒家に集まる三人に出されるのは麦茶だったりカキ氷だったり。風鈴も扇風機も風情があっていい感じ。だが、いま一つ涼しげに見えないところが、三人のかったるい感じを出しているし、ひとん家なのにマンガは読むは、TVはつけるは、事ある毎にモメるは。まずまず玄関に「鍵」かかっていないし。でも古臭くは・・・感じないのですよ。
その玄関扉なんですが、両開きの引き戸なんですが、三つ葉が後ろ手に両手で閉めるシーンが多いんです。こうピシャっとね、それがなんとも江戸っ子の三つ葉の気風っていうのか、性格が判るっていうか、好きでした。
村林は関西弁の上方落語で話したい、というし、十河はなにやら失恋をひきずっているみたいだし、湯河原は日頃の毒舌とは打って変わって解説ではからきし。
しかも三つ葉は一門の落語会があって新しい古典も学ばなくちゃならないし、本当にしゃべれどもしゃべれども先が見えない日々に失恋もしちゃう。
しゃべれどもしゃべれども上手くならない(必死な演技ですがマジだったんでは?)、この必死に話すお題が「火焔太鼓」。ちょっと感動しますよ。
この様子を祖母の八千草さんが見守る感じがいい。師匠の伊東さんもいい。
まとめていうと、全体的に‘様子’がいい。
落語が好きならばその部分を中心に観るもよし、“通”ならば、ツッコミながら観るもよし、私は香里奈ちゃんの「馬っ鹿じゃないの!」のセリフ(このセリフを言わせて日本一は今のトコ彼女、と思う)が聞けてそれまた満足~な、作品でした。
by bijomaru0330am | 2007-05-30 23:45 | 映画鑑賞