「300(スリーハンドレッド)」 を観る
2007年 05月 29日
世界各国で興行収入記録を塗り替え、舞台となった民族の一部が怒り心頭だ、という報道あり、・・・ある意味物議をかもした「ダ○。ンチ・コード」より世界的に有名で影響力のあるストーリーなのでは?と思う、古代ギリシャが舞台の「300(スリーハンドレッド)」 を観てきました。
んまぁぁぁぁ~すざましい筋肉体、‘大胸筋’‘腹直筋’‘上腕二刀筋’(以下筋肉省略、あまりに沢山で書けない!)!!・・・「トロイ」のブラピも素晴らしい筋肉美でしたが、これが300人もいると、壮観を通り越して、自分の身体が恥ずかしくなるくらいの肉体でした。
CGとは解かっていても(筋肉もCGかな?)躍動するその肢体から繰り広げられる戦いは殺戮のシーンであっても優雅で美しい・・・(麻痺?)とさえ感じました。
紀元前480年、古代ギリシャのスパルタ国のレオニダスは代々続いてきたスパルタ教育を周到する屈強なアギス家出身の王。ペルシャ戦争で攻めてきたクセルクセス1世を阻むために、自ら選んだ300人の戦士と戦い殉死した、という話の映画。
こうやって書いちゃうと短いエピソードだし、古代世界史をちゃんと学んだ人には楽勝な話です。しかも、この時代の言葉やなんかは随分極東の日本にも伝わってきている。
今では全く意味が変わってしまって使われている事も多いんですよね。
私の中では「レオニダス」=ベルギーのチョコ(創業した菓子職人さんの名前がレオニダスさんだから)、なーんて甘っちょろいもんだったんですー。が、チョコの箱のマークが戦士の横顔だったのでレオニダスは彼の名前なんだろうな、とは思っていました。
ギリシャの英雄だったんですね~、私はこの辺りの歴史は正直得意ではナイです。
(高校の時に選択しなかったせいもある)
また、「ペルシャ戦争」という呼び方はギリシャ側からの呼び方で、中立的な名称ではないんだそうで・・・全く勉強してなかった私は目からウロコ・・・いや~ハズカシイ。
他にも「オラクル」という言葉が出てきますが・・・当然思い出すのはアノ会社。知らない方、劇中での意味は是非鑑賞して下さい。(きっと解かってて企業名にしたのでしょうケド)
↓(ここからネタばれあり)
この映画の話になっている「300」、それはスパルタの戦士の数。必ず跡継ぎが居る戦士=死ぬ覚悟あり。の戦士の数。
ペルシャ100万VSギリシャ5000という「どう考えても負けるでしょ」の戦のギリシャに加勢したレオニダス率いるスパルタ戦士。本来、その時スパルタでは戦争にいっては行けない祭事の時期で、政では行っちゃいけない、と決まっていたのに「戦闘国家の精鋭であり、本物の戦士」である彼らは、服従はありえない、と出向くのです。
スパルタ教育(対極はアテネの教育)、というと何やら「殴る」「蹴る」の暴力的な一面ばかりがフューチャーされていますが、さにあらず。
質実剛健、忍耐と服従。時代的な事や民主主義国家の今の世の我が国では理解出来ない部分もありますが、個人的には納得いく部分が多かったです。あの時代に一国を守る手立てとしては「アリ」なんでは、と。
また、王妃の妻ゴルゴーは美しく聡明で気が強い、というのは歴史的にも本当の事らしいのですが、ゴルゴー役のヘナ・ヘディーが見事に表現しており、かなり共感しました。
普通の夫婦のように、王レオニダス(ジェラルド・バトラー)が視線でゴルゴーに意思確認をしたり、しきたりに従うか国を守るか(「水を守る」という表現に共感!)で悩むレオニダスに「人の民として、自分の心に従いなさい」というゴルゴー。妻の鏡です。
「スパルタ女は男を支配しているのでは?」という問いに「女の私達がスパルタの男を生めるから」(これも本当にそう言ったと伝えられています)と答える辺り、単にオトコ臭い映画のみならず、強いオンナの生き様も見せてくれます。
政でいっては行けない戦に出向いた夫、レオニダスを加勢する援軍を出して欲しいと議会(政治の場)に自ら進み出て(犠牲を払い・・・そんなモン、へでもないわ!って感じ)演説する姿、惚れます。
精神的な面を書いてきましたが、戦争映画なので、それはそれはエグイ映像もあります。殺陣っていうんですか、スゴいいろんな“切り刻み方・肉弾戦”で、ちょっとヒキます。
ちょうど、‘串刺し公’と称されるアノお方の本を読んでいる最中なので、ショックは幾分(また昨今の目を覆う事件でだいぶ麻痺してきている・・・感覚が)少なかったのですが、武器がシンプルに刃物や槍だけなのが、逆にまたスゴいことになっていて、流石R指定な作品です。
過激な殺戮とエロで評判になった「シン・シティ」の関係者さんも絡んでいるせいか、全体的な色彩もあんな感じの独特さでインパクト大!まぁ、古代史な分だけグロさは薄いかもしれません。
内容も壮大だし、いろんな意味でも大スクリーンで見ることに価値がありますよ。
「300」@映画生活
んまぁぁぁぁ~すざましい筋肉体、‘大胸筋’‘腹直筋’‘上腕二刀筋’(以下筋肉省略、あまりに沢山で書けない!)!!・・・「トロイ」のブラピも素晴らしい筋肉美でしたが、これが300人もいると、壮観を通り越して、自分の身体が恥ずかしくなるくらいの肉体でした。
CGとは解かっていても(筋肉もCGかな?)躍動するその肢体から繰り広げられる戦いは殺戮のシーンであっても優雅で美しい・・・(麻痺?)とさえ感じました。
紀元前480年、古代ギリシャのスパルタ国のレオニダスは代々続いてきたスパルタ教育を周到する屈強なアギス家出身の王。ペルシャ戦争で攻めてきたクセルクセス1世を阻むために、自ら選んだ300人の戦士と戦い殉死した、という話の映画。
こうやって書いちゃうと短いエピソードだし、古代世界史をちゃんと学んだ人には楽勝な話です。しかも、この時代の言葉やなんかは随分極東の日本にも伝わってきている。
今では全く意味が変わってしまって使われている事も多いんですよね。
私の中では「レオニダス」=ベルギーのチョコ(創業した菓子職人さんの名前がレオニダスさんだから)、なーんて甘っちょろいもんだったんですー。が、チョコの箱のマークが戦士の横顔だったのでレオニダスは彼の名前なんだろうな、とは思っていました。
ギリシャの英雄だったんですね~、私はこの辺りの歴史は正直得意ではナイです。
(高校の時に選択しなかったせいもある)
また、「ペルシャ戦争」という呼び方はギリシャ側からの呼び方で、中立的な名称ではないんだそうで・・・全く勉強してなかった私は目からウロコ・・・いや~ハズカシイ。
他にも「オラクル」という言葉が出てきますが・・・当然思い出すのはアノ会社。知らない方、劇中での意味は是非鑑賞して下さい。(きっと解かってて企業名にしたのでしょうケド)
↓(ここからネタばれあり)
この映画の話になっている「300」、それはスパルタの戦士の数。必ず跡継ぎが居る戦士=死ぬ覚悟あり。の戦士の数。
ペルシャ100万VSギリシャ5000という「どう考えても負けるでしょ」の戦のギリシャに加勢したレオニダス率いるスパルタ戦士。本来、その時スパルタでは戦争にいっては行けない祭事の時期で、政では行っちゃいけない、と決まっていたのに「戦闘国家の精鋭であり、本物の戦士」である彼らは、服従はありえない、と出向くのです。
スパルタ教育(対極はアテネの教育)、というと何やら「殴る」「蹴る」の暴力的な一面ばかりがフューチャーされていますが、さにあらず。
質実剛健、忍耐と服従。時代的な事や民主主義国家の今の世の我が国では理解出来ない部分もありますが、個人的には納得いく部分が多かったです。あの時代に一国を守る手立てとしては「アリ」なんでは、と。
また、王妃の妻ゴルゴーは美しく聡明で気が強い、というのは歴史的にも本当の事らしいのですが、ゴルゴー役のヘナ・ヘディーが見事に表現しており、かなり共感しました。
普通の夫婦のように、王レオニダス(ジェラルド・バトラー)が視線でゴルゴーに意思確認をしたり、しきたりに従うか国を守るか(「水を守る」という表現に共感!)で悩むレオニダスに「人の民として、自分の心に従いなさい」というゴルゴー。妻の鏡です。
「スパルタ女は男を支配しているのでは?」という問いに「女の私達がスパルタの男を生めるから」(これも本当にそう言ったと伝えられています)と答える辺り、単にオトコ臭い映画のみならず、強いオンナの生き様も見せてくれます。
政でいっては行けない戦に出向いた夫、レオニダスを加勢する援軍を出して欲しいと議会(政治の場)に自ら進み出て(犠牲を払い・・・そんなモン、へでもないわ!って感じ)演説する姿、惚れます。
精神的な面を書いてきましたが、戦争映画なので、それはそれはエグイ映像もあります。殺陣っていうんですか、スゴいいろんな“切り刻み方・肉弾戦”で、ちょっとヒキます。
ちょうど、‘串刺し公’と称されるアノお方の本を読んでいる最中なので、ショックは幾分(また昨今の目を覆う事件でだいぶ麻痺してきている・・・感覚が)少なかったのですが、武器がシンプルに刃物や槍だけなのが、逆にまたスゴいことになっていて、流石R指定な作品です。
過激な殺戮とエロで評判になった「シン・シティ」の関係者さんも絡んでいるせいか、全体的な色彩もあんな感じの独特さでインパクト大!まぁ、古代史な分だけグロさは薄いかもしれません。
内容も壮大だし、いろんな意味でも大スクリーンで見ることに価値がありますよ。
「300」@映画生活
by bijomaru0330am | 2007-05-29 23:45 | 試写会