「プレステージ」を観る
2007年 05月 04日
つい最近、二つのTV局に対してマジシャン達が映像でネタばらしをされたことに抗議した、というニュースは記憶に新しいところ。単純に、「ネタバラされたら‘おまんま’食い上げだよねぇ」と思っていたのですが、この作品をタイムリーに鑑賞、その気持ちは「‘おまんま’どころか‘生き死に’っす!」に変わりました。その作品名は「プレステージ」。
作品自体に対しても、鑑賞前は「地味?」と思っていたのですが、なんのなんの。
出演俳優の豪華さにも目を見張るものがあり、なんといってもその見どころは、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが天才奇術師役(マジシャン)。それに、マジシャンの傍には当然ながら美人アシスタント、がスカーレット・ヨハンソン!であること(ぴったりやんけ)、これはかなり豪華な配役です。
ストーリーもサスペンスと推理の要素も含み面白く、ヒューもクリスチャンも代表作が‘悩める特殊能力者’な役(ウルヴァリン&バットマン)だったせい?もあってか、何かに取りつかれたような、屈折した奇術師を見事に体現、切磋琢磨の共演でした。
(↓ここからややネタバレ。但し‘大オチ’は書けません、書いたら興行主にシバかれそう)
1800年代末、ロンドンでアンジャー(ヒュー)とボーデン(クリスチャン)は、将来有名な奇術師として成功することを夢見ている。が、今はアンジャーの妻がアシスタントを勤めるマジシャンの‘サクラ’として(舞台上のアシスタントのロープを縛る客)細々と修行の身を過ごしていた。
華やかなオーラのあるアンジャーと探求旺盛で理詰めタイプのボーデン。ある日、アンジャーの妻は水槽脱出に失敗、命を落とす。ロープを縛ったのは‘サクラ’のアンジャーとボーデン。日頃から解け易い結び目より「ひと工夫」した結び方に興味を示していたボーデンを激しく攻めるアンジャー。「どんな風に縛ったのか!」しかし、ボーデンは「覚えていない。」と事も無げに答える。悔みは言えども非は認めなかったボーデン。その日から、アンジャーとボーデンの確執は始まったのだ。
公式サイトに行けば、もう少しアウトラインが解かりますし、劇場では通常のB5のワンペラ以外にもチラシがあったり、興味を引くような宣伝がなされています。
それらを見ると、マジック主体作品の様な華やかな印象を受けますが、時代は19世紀のロンドンですし、どんよりと曇ったイギリスの空の如く、作品全体に漂う雰囲気は軽いものではありません。
私が初めて手品師さんはネタ屋さんからアイデアを購入して興行するんだ、と知ったのは結構大きくなってから。そんな「へぇ~(ちょっとショック)」を軽く受ける様な、‘興行師’の裏側、生みの苦しみと、競争相手を疎ましく羨ましく思う様子がよく描かれています。
時間軸が交差するストーリー展開なので、どの部分がどこに繋がるか、こんがらがるかもしれませんが、装いや髪の感じなど、‘細かく’ちゃんと見てれば解かりますし、余計なサイドストーリーはないので、本題のみに集中出来ます。
愛する妻を亡くし、その悲しみと憎しみは仕返しに変わる。陽気なアンジャーの瞳の奥に憎悪が、怯えていたボーデンの瞳の奥には嫌悪が、メラメラと燃え盛り、二人の天才は「目には目を、歯には歯を」の生き方を選んで行く。
ただそれは単に恨み辛み以外にも、奇術師としての興味と競うべく相手がいた事が大きく影響し、周りの人間の些細な心も操り、騙し、観ていて「どれが本気でどれが口先なのか」解からなく(実際わからない)なりそうでした。
最近の芸能人さんは実名=芸名の方も多く、「映像でも実際でも等身大」がウケるようですが、奇術師は舞台用に芸名を必ずつけるそうです。どうやら現実の自分と舞台の自分とを切り分ける意味もあるようでした。(アンジャーは「奇跡のダンカン」、ボーデンは「教授」)
しかし、二人は現実でも舞台でも奇術(相手)から離れる事が出来なかった。
終わってみれば、なんでアノ人があんなセリフを言うのか合点がいったし、なんであんなシーンがあるのかも解かるのですが、よくあるような第三者にセリフで説明させるシーンがないので良く見てないと置いていかれます。
マジックには、三つのセンテンスがあって、
1、「確認」・・・(ココにこんなんありますよ~これがね・・・)
2、「展開」・・・(こんな風に!なっちゃいました・・・)
3、「偉業」・・・(でも、ほら!・・・こーなったらビックリするでしょ!)
この、「偉業」=プレステージ欲しさに彼らは日頃さえ犠牲に、犠牲どころか偽りで固めます。
若い俳優の中でギュッと映像を締める、アイデアマン役のカッター(マイケル・ケイン)が、このセンテンスを冒頭語りますが、終盤にもその語りシーンが再度登場し、その時にはこの意味の重たさを感じます。
複雑な様なでも、観るものを楽しませる‘仕掛け’がアチコチの作品でした。
しかし、どんなに複雑で誤魔化しても、その男の事を一番よく解かるのは、その男を愛した女なのですねー。
作品自体に対しても、鑑賞前は「地味?」と思っていたのですが、なんのなんの。
出演俳優の豪華さにも目を見張るものがあり、なんといってもその見どころは、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが天才奇術師役(マジシャン)。それに、マジシャンの傍には当然ながら美人アシスタント、がスカーレット・ヨハンソン!であること(ぴったりやんけ)、これはかなり豪華な配役です。
ストーリーもサスペンスと推理の要素も含み面白く、ヒューもクリスチャンも代表作が‘悩める特殊能力者’な役(ウルヴァリン&バットマン)だったせい?もあってか、何かに取りつかれたような、屈折した奇術師を見事に体現、切磋琢磨の共演でした。
(↓ここからややネタバレ。但し‘大オチ’は書けません、書いたら興行主にシバかれそう)
1800年代末、ロンドンでアンジャー(ヒュー)とボーデン(クリスチャン)は、将来有名な奇術師として成功することを夢見ている。が、今はアンジャーの妻がアシスタントを勤めるマジシャンの‘サクラ’として(舞台上のアシスタントのロープを縛る客)細々と修行の身を過ごしていた。
華やかなオーラのあるアンジャーと探求旺盛で理詰めタイプのボーデン。ある日、アンジャーの妻は水槽脱出に失敗、命を落とす。ロープを縛ったのは‘サクラ’のアンジャーとボーデン。日頃から解け易い結び目より「ひと工夫」した結び方に興味を示していたボーデンを激しく攻めるアンジャー。「どんな風に縛ったのか!」しかし、ボーデンは「覚えていない。」と事も無げに答える。悔みは言えども非は認めなかったボーデン。その日から、アンジャーとボーデンの確執は始まったのだ。
公式サイトに行けば、もう少しアウトラインが解かりますし、劇場では通常のB5のワンペラ以外にもチラシがあったり、興味を引くような宣伝がなされています。
それらを見ると、マジック主体作品の様な華やかな印象を受けますが、時代は19世紀のロンドンですし、どんよりと曇ったイギリスの空の如く、作品全体に漂う雰囲気は軽いものではありません。
私が初めて手品師さんはネタ屋さんからアイデアを購入して興行するんだ、と知ったのは結構大きくなってから。そんな「へぇ~(ちょっとショック)」を軽く受ける様な、‘興行師’の裏側、生みの苦しみと、競争相手を疎ましく羨ましく思う様子がよく描かれています。
時間軸が交差するストーリー展開なので、どの部分がどこに繋がるか、こんがらがるかもしれませんが、装いや髪の感じなど、‘細かく’ちゃんと見てれば解かりますし、余計なサイドストーリーはないので、本題のみに集中出来ます。
愛する妻を亡くし、その悲しみと憎しみは仕返しに変わる。陽気なアンジャーの瞳の奥に憎悪が、怯えていたボーデンの瞳の奥には嫌悪が、メラメラと燃え盛り、二人の天才は「目には目を、歯には歯を」の生き方を選んで行く。
ただそれは単に恨み辛み以外にも、奇術師としての興味と競うべく相手がいた事が大きく影響し、周りの人間の些細な心も操り、騙し、観ていて「どれが本気でどれが口先なのか」解からなく(実際わからない)なりそうでした。
最近の芸能人さんは実名=芸名の方も多く、「映像でも実際でも等身大」がウケるようですが、奇術師は舞台用に芸名を必ずつけるそうです。どうやら現実の自分と舞台の自分とを切り分ける意味もあるようでした。(アンジャーは「奇跡のダンカン」、ボーデンは「教授」)
しかし、二人は現実でも舞台でも奇術(相手)から離れる事が出来なかった。
終わってみれば、なんでアノ人があんなセリフを言うのか合点がいったし、なんであんなシーンがあるのかも解かるのですが、よくあるような第三者にセリフで説明させるシーンがないので良く見てないと置いていかれます。
マジックには、三つのセンテンスがあって、
1、「確認」・・・(ココにこんなんありますよ~これがね・・・)
2、「展開」・・・(こんな風に!なっちゃいました・・・)
3、「偉業」・・・(でも、ほら!・・・こーなったらビックリするでしょ!)
この、「偉業」=プレステージ欲しさに彼らは日頃さえ犠牲に、犠牲どころか偽りで固めます。
若い俳優の中でギュッと映像を締める、アイデアマン役のカッター(マイケル・ケイン)が、このセンテンスを冒頭語りますが、終盤にもその語りシーンが再度登場し、その時にはこの意味の重たさを感じます。
複雑な様なでも、観るものを楽しませる‘仕掛け’がアチコチの作品でした。
しかし、どんなに複雑で誤魔化しても、その男の事を一番よく解かるのは、その男を愛した女なのですねー。
by bijomaru0330am | 2007-05-04 23:45 | 試写会