「墨攻」を観る
2007年 02月 01日
アンディ・ラウを始めとした、中国・韓国・香港(なんで日本はおらんねん!)のスターの共演「墨攻」を観てきました。
なんでも「墨攻」は、造語(「墨守」という言葉があるそうで、「攻守」からきているのかな)で、しかもこの作品の原作はなんと日本のマンガ本だそう!
(凄いぞジャパニーズコミック・・・なのに日本人俳優はおらず~)
その昔中国には、孔子とか孟子とか世界史の試験に出てくる賢人達がおり、中国思想を生み出したのはなんとなく知っていましたが、その一派(分派)の墨子が、つくった墨家という思想の話だそうで、映画になるまで知りませんでした。
中国の思想、そして戦乱の世の戦術なんかに興味がない人には難しいのではないか、という印象の作品でした。
私は、と言えば詳しくはないけれど、歴史で言えば「三国志」とか、映画で言えば「MUSA」や邦画の「天と地と」なんかも大好きで、戦乱の世の名将たちが繰り広げる駆け引きや策略ものを面白いと感じるので、133分の尺もそう長いとは感じませんでした。
しかも主演は「インファナル・アフェア」のアンディ・ラウ!十二分に楽しめましたよ。
そうは言っても字幕での鑑賞ですし、漢字の役名の応酬はキツいので、HPや事前にみつけたフリーペーパーのR25の特集で予習、それが幸いし話しにもすんなり入れました。
(実際、皆‘兵馬俑’のような格好なので誰がどれだか判りづらかったです。)
(↓ここからネタバレあり。 しかし、壮大な映像ありき、ですよ、これは)
中国の小国・梁(りょう)は大国・趙(ちょう)の侵略の脅威に遭っていた。梁王は墨家に救援部隊要請していたが、ある日やってきたのは墨士の革離(アンディ・ラウ)、たった独り。
しかし、独りでもあらゆる知識と攻略とアイデアで城を守れると説き、時に機転で時に説得で梁を守り続ける。人々賛同や信頼を得た革離だが、それは梁王の嫉妬も煽ったのである。
冒頭、広大な城や風景の中、会話によって状況が説明される部分が続きます。
目も慣れないし、‘掛け合い’会話は中国語の音の心地よさと相まって、眠気を誘います・・・おっと。少しここは我慢かも。
時代は春秋戦国(「周」の後、「秦」の前。一番中国がいろんな国でバラバラな時かも)、絶えず国同士は争いがあり、時代背景により思想が沢山生まれたそうです。
墨家は「墨家十論(詳しくはHPで)」というものがあり、「侵略や併合は犯罪」と考える集団。その墨家から独り戦争の為に赴くことはいささか信条に反する、と思うところもあるのですが、思想の中に「自分を愛するように他人も愛せ」というものもあり、「助けを求める人々がいるのに知らんふりは出来ない」ということなのかしらん。
また、これはこの時代普通のことなのか、梁王自ら招いておいて、革離を軽んじる扱いをしたり、戦争するのに事前に知将同士遭う、といった部分が興味深いというか味わいがあるというか。まぁ、少し考えてみると、日本の戦国時代も、“やぁやぁ我こそは~”と名乗るちょっと現実的ではない武士道もあるし、国の違い?と思いながら見ていました。
大陸的だな、と思ったのは、広い平野が城下に広がるからか、穴掘り(トンネル)侵入作戦などあるところ。山裾に城下を築き、山を背負うように建つ城を持つことも多い日本国では戦術としてありえない。でも、「夜討ち」はどこでもするのだな、とか思ったり。
見せしめの体罰で、近々に殺す予定なのに若い女性の喉を切って口を利けなくしたり、弓の名手の右手だけを不具にして生かす、というオッソろしい罰を与えていたのがビックリというか「楊貴妃」でもそうだったからやっぱりー、という感じでした。
それでも同じアジアなのだな、と思ったのは、乱世の世・女性はやはり陰の存在だったこと。ほとんどメインキャストに出てきません。
梁の騎馬隊の騎士に逸悦(ファン・ビンビン)がいますが、これは作品の華(恋愛)なので居る、だけのポジション色が強く、他は全くといって良いほど出てこない(お后さえも)です。
あと、王族の髪の毛のスタイルが聖徳太子みたいな、お相撲さんのちょん髷の長い版みたいな感じでなんだが、同じ文化な感じがしました。
映像は、広々と大地を見渡せる様なスケールの大きい画で、攻撃してくる兵士の隊列がまるで「SW・EPⅡ」のクローン兵の様にずら~~っといて壮観。
主演のアンディ・ラウは、現代劇の時とはまた違ったイメージで、ここ数年間は彼の黄金時代だろう。と感じさせる貫禄でした。
「墨攻@映画生活」
なんでも「墨攻」は、造語(「墨守」という言葉があるそうで、「攻守」からきているのかな)で、しかもこの作品の原作はなんと日本のマンガ本だそう!
(凄いぞジャパニーズコミック・・・なのに日本人俳優はおらず~)
その昔中国には、孔子とか孟子とか世界史の試験に出てくる賢人達がおり、中国思想を生み出したのはなんとなく知っていましたが、その一派(分派)の墨子が、つくった墨家という思想の話だそうで、映画になるまで知りませんでした。
中国の思想、そして戦乱の世の戦術なんかに興味がない人には難しいのではないか、という印象の作品でした。
私は、と言えば詳しくはないけれど、歴史で言えば「三国志」とか、映画で言えば「MUSA」や邦画の「天と地と」なんかも大好きで、戦乱の世の名将たちが繰り広げる駆け引きや策略ものを面白いと感じるので、133分の尺もそう長いとは感じませんでした。
しかも主演は「インファナル・アフェア」のアンディ・ラウ!十二分に楽しめましたよ。
そうは言っても字幕での鑑賞ですし、漢字の役名の応酬はキツいので、HPや事前にみつけたフリーペーパーのR25の特集で予習、それが幸いし話しにもすんなり入れました。
(実際、皆‘兵馬俑’のような格好なので誰がどれだか判りづらかったです。)
(↓ここからネタバレあり。 しかし、壮大な映像ありき、ですよ、これは)
中国の小国・梁(りょう)は大国・趙(ちょう)の侵略の脅威に遭っていた。梁王は墨家に救援部隊要請していたが、ある日やってきたのは墨士の革離(アンディ・ラウ)、たった独り。
しかし、独りでもあらゆる知識と攻略とアイデアで城を守れると説き、時に機転で時に説得で梁を守り続ける。人々賛同や信頼を得た革離だが、それは梁王の嫉妬も煽ったのである。
冒頭、広大な城や風景の中、会話によって状況が説明される部分が続きます。
目も慣れないし、‘掛け合い’会話は中国語の音の心地よさと相まって、眠気を誘います・・・おっと。少しここは我慢かも。
時代は春秋戦国(「周」の後、「秦」の前。一番中国がいろんな国でバラバラな時かも)、絶えず国同士は争いがあり、時代背景により思想が沢山生まれたそうです。
墨家は「墨家十論(詳しくはHPで)」というものがあり、「侵略や併合は犯罪」と考える集団。その墨家から独り戦争の為に赴くことはいささか信条に反する、と思うところもあるのですが、思想の中に「自分を愛するように他人も愛せ」というものもあり、「助けを求める人々がいるのに知らんふりは出来ない」ということなのかしらん。
また、これはこの時代普通のことなのか、梁王自ら招いておいて、革離を軽んじる扱いをしたり、戦争するのに事前に知将同士遭う、といった部分が興味深いというか味わいがあるというか。まぁ、少し考えてみると、日本の戦国時代も、“やぁやぁ我こそは~”と名乗るちょっと現実的ではない武士道もあるし、国の違い?と思いながら見ていました。
大陸的だな、と思ったのは、広い平野が城下に広がるからか、穴掘り(トンネル)侵入作戦などあるところ。山裾に城下を築き、山を背負うように建つ城を持つことも多い日本国では戦術としてありえない。でも、「夜討ち」はどこでもするのだな、とか思ったり。
見せしめの体罰で、近々に殺す予定なのに若い女性の喉を切って口を利けなくしたり、弓の名手の右手だけを不具にして生かす、というオッソろしい罰を与えていたのがビックリというか「楊貴妃」でもそうだったからやっぱりー、という感じでした。
それでも同じアジアなのだな、と思ったのは、乱世の世・女性はやはり陰の存在だったこと。ほとんどメインキャストに出てきません。
梁の騎馬隊の騎士に逸悦(ファン・ビンビン)がいますが、これは作品の華(恋愛)なので居る、だけのポジション色が強く、他は全くといって良いほど出てこない(お后さえも)です。
あと、王族の髪の毛のスタイルが聖徳太子みたいな、お相撲さんのちょん髷の長い版みたいな感じでなんだが、同じ文化な感じがしました。
映像は、広々と大地を見渡せる様なスケールの大きい画で、攻撃してくる兵士の隊列がまるで「SW・EPⅡ」のクローン兵の様にずら~~っといて壮観。
主演のアンディ・ラウは、現代劇の時とはまた違ったイメージで、ここ数年間は彼の黄金時代だろう。と感じさせる貫禄でした。
「墨攻@映画生活」
by bijomaru0330am | 2007-02-01 23:45 | 試写会