「ナイロビの蜂」を観る
2006年 04月 08日
主演の一人であるレイチェル・ワイズは好きな女優さん。
しかも、今年のアカデミー賞・助演女優賞を獲得した作品なので、早めに鑑賞したいなと思っていましたら、運よくブログを持っている人限定の試写に招かれました。
配られたワンペラ(ペラいち)の紙に、
「きっかけは妻の死。たどり着いたのは妻の愛。」とあったので、もっと恋愛表現やシーンが濃いモノと想像していましたが、社会派どっぷりの硬派な作品でした。
主演のレイフ・ファインズもレイチェルも演技についてはご存知の通り文句なしの納得モンですし、周りを固める俳優陣の「格」もかなり高め。
脚本も編集もしっかりしており(アカデミー賞取ってますし)、辻褄が合わないとか、解りづらい部分があるとかは一切なし。
(あえてあえて探すなら字幕で、白いワイシャツの上に字がでたトコが読みづらい)
初めから終わりまでじっくり見せ、考えさせ、じんわりとした感動をおこさせる作品です。
ですが、内容が単純ではなく、政治と経済のしがらみを描いているし、暴力的なシーンもあって18歳以下にはお勧め出来るのかどうか、悩むところ。
(個人的意見は中学生以下には見せられません)
また、違った意味で大胆なレイチェル(「スターリングラード」でもドキっとしました)。
大人の私には別に全然変な感じもイメージも持ちませんでしたが、妊婦ヌードは日本ではまだ浸透率が低いから、ショックかな・・・?
(以下ややネタバレありです)
レイチェルが演じたテッサはモデルとなった女性が実在したとか。設定も年齢も、なにもかもが違うそうですが、その「強固な精神」はその彼女のイメージだったとか。
レイチェルはインタビューで自分はテッサのような強い女性ではない、とコメントしていましたが、作品を鑑賞して、まず少なくとも私の周りではテッサのような女性は思いつきませんでした。
逆に夫を持つ同じ女性として彼女のような人が良いとは限らないと思うし、むしろ共感出来ないとも感じました。
しかも、既に鑑賞した有名人の感想とは異なり、「本当にテッサは純粋に恋愛感情を持ってジャスティン(ファインズ)にプロポーズしたのだろうか。」とさえ思ってしまうのです。
この意見には総スカンを喰いそうですが、劇中「6歳から革命家」と云われる彼女が、外交書記官として赴任の可能性があったジャスティンに純粋な気持ちで近づけたのか。
死してつまびらかになる数々の事柄は、夫を愛していたからと思われるし、結婚生活では愛しあっていて幸せそう。少なくとも夫のジャスティンはテッサを愛していて、その遺志を受け取りますが、果たしてテッサは死後このような展開に自分の夫が陥ると思わなかったのでしょうか。
本当に夫を思っていたのなら、自分のエゴに近い意思(それがどんなに人間的に素晴らしくても)は置いて逝かないのでは、と思うのです。
あまりにも自分をも大事にしない(それよりもっと大きな意志があったからなんですが)ゆえに死産したのでは、とさえ思うのです。それはイコール愛する夫が悲しむことなのに。
愛していたから明かさない、というのは、去られてから知った残った者がどんな行動をとるのか想像出来る人のすることではないのか、と思うのです。
もし、ジャスティンの行動を予測してテッサは死んだ(例え思わぬ死でも)としたら、それはものすごくズルイとも思うのです。流石革命家と、うがった見方をしたくなります。
果たしてテッサは夫にも同じ生き方を望んだのでしょうか?
死して相手にその「針」を残す蜂。
「アタシが死んだってアンタらの悪事は暴かれるのよ!」なのか、「あの蜂の針(注射針)は毒針。」なのか。
テッサを愛し、事実を隠され続けてきたことを自らへの愛の証と、その愛に答え最期まで妻を愛していた夫ジャスティンには大いに共感出来、感動もし、涙も出ました。
こんな風に思えてしまった私は、世間が狭いのか、心が狭いのでしょうか。
何やら少しイライラともしてしまったので、二人の気持ちが判るけど、解りたくないとどこかでと思っているのかもしれません。
機会があったらもう一度鑑賞して次の私の感情を探りたくなる作品でした。
少なくともテッサのような人生は、今の私にはありえないと思うので、ジャスティンの様な悲しみは私の夫は持たずに済みます(反対にこんな深い愛もないかな!?)。
・・・・平凡を今更ながらに幸せに感じます。
「ナイロビの蜂」公式サイト
http://www.nairobi.jp/
「ナイロビの蜂@映画生活」
http://www.eigaseikatu.com/title/15034/
しかも、今年のアカデミー賞・助演女優賞を獲得した作品なので、早めに鑑賞したいなと思っていましたら、運よくブログを持っている人限定の試写に招かれました。
配られたワンペラ(ペラいち)の紙に、
「きっかけは妻の死。たどり着いたのは妻の愛。」とあったので、もっと恋愛表現やシーンが濃いモノと想像していましたが、社会派どっぷりの硬派な作品でした。
主演のレイフ・ファインズもレイチェルも演技についてはご存知の通り文句なしの納得モンですし、周りを固める俳優陣の「格」もかなり高め。
脚本も編集もしっかりしており(アカデミー賞取ってますし)、辻褄が合わないとか、解りづらい部分があるとかは一切なし。
(あえてあえて探すなら字幕で、白いワイシャツの上に字がでたトコが読みづらい)
初めから終わりまでじっくり見せ、考えさせ、じんわりとした感動をおこさせる作品です。
ですが、内容が単純ではなく、政治と経済のしがらみを描いているし、暴力的なシーンもあって18歳以下にはお勧め出来るのかどうか、悩むところ。
(個人的意見は中学生以下には見せられません)
また、違った意味で大胆なレイチェル(「スターリングラード」でもドキっとしました)。
大人の私には別に全然変な感じもイメージも持ちませんでしたが、妊婦ヌードは日本ではまだ浸透率が低いから、ショックかな・・・?
(以下ややネタバレありです)
レイチェルが演じたテッサはモデルとなった女性が実在したとか。設定も年齢も、なにもかもが違うそうですが、その「強固な精神」はその彼女のイメージだったとか。
レイチェルはインタビューで自分はテッサのような強い女性ではない、とコメントしていましたが、作品を鑑賞して、まず少なくとも私の周りではテッサのような女性は思いつきませんでした。
逆に夫を持つ同じ女性として彼女のような人が良いとは限らないと思うし、むしろ共感出来ないとも感じました。
しかも、既に鑑賞した有名人の感想とは異なり、「本当にテッサは純粋に恋愛感情を持ってジャスティン(ファインズ)にプロポーズしたのだろうか。」とさえ思ってしまうのです。
この意見には総スカンを喰いそうですが、劇中「6歳から革命家」と云われる彼女が、外交書記官として赴任の可能性があったジャスティンに純粋な気持ちで近づけたのか。
死してつまびらかになる数々の事柄は、夫を愛していたからと思われるし、結婚生活では愛しあっていて幸せそう。少なくとも夫のジャスティンはテッサを愛していて、その遺志を受け取りますが、果たしてテッサは死後このような展開に自分の夫が陥ると思わなかったのでしょうか。
本当に夫を思っていたのなら、自分のエゴに近い意思(それがどんなに人間的に素晴らしくても)は置いて逝かないのでは、と思うのです。
あまりにも自分をも大事にしない(それよりもっと大きな意志があったからなんですが)ゆえに死産したのでは、とさえ思うのです。それはイコール愛する夫が悲しむことなのに。
愛していたから明かさない、というのは、去られてから知った残った者がどんな行動をとるのか想像出来る人のすることではないのか、と思うのです。
もし、ジャスティンの行動を予測してテッサは死んだ(例え思わぬ死でも)としたら、それはものすごくズルイとも思うのです。流石革命家と、うがった見方をしたくなります。
果たしてテッサは夫にも同じ生き方を望んだのでしょうか?
死して相手にその「針」を残す蜂。
「アタシが死んだってアンタらの悪事は暴かれるのよ!」なのか、「あの蜂の針(注射針)は毒針。」なのか。
テッサを愛し、事実を隠され続けてきたことを自らへの愛の証と、その愛に答え最期まで妻を愛していた夫ジャスティンには大いに共感出来、感動もし、涙も出ました。
こんな風に思えてしまった私は、世間が狭いのか、心が狭いのでしょうか。
何やら少しイライラともしてしまったので、二人の気持ちが判るけど、解りたくないとどこかでと思っているのかもしれません。
機会があったらもう一度鑑賞して次の私の感情を探りたくなる作品でした。
少なくともテッサのような人生は、今の私にはありえないと思うので、ジャスティンの様な悲しみは私の夫は持たずに済みます(反対にこんな深い愛もないかな!?)。
・・・・平凡を今更ながらに幸せに感じます。
「ナイロビの蜂」公式サイト
http://www.nairobi.jp/
「ナイロビの蜂@映画生活」
http://www.eigaseikatu.com/title/15034/
by bijomaru0330am | 2006-04-08 23:45 | 試写会