「ノルウェイの森」を観る
2010年 12月 18日
松山ケンイチ主演「ノルウェイの森」を観てきました。
原作者は云わずと知れた村上春樹氏。私はタイムリーには勿論、未だこの原作を読んでいない(昨今コレを読んでいないと無教養なんだって・・・どうもスイマセン!)。
強いていうなら彼のエルサレム賞スピーチに感銘を受けたから、と好きな松ケンが主演なんだ・・・と興味があっての鑑賞です。観た感想は思いっきり恋愛・青春映画だな、という感じ。
↓ストーリーについては有名でしょうから、ネタバレとかないですよね。
ワタナベ(松ケン)とキズキと直子(菊地凛子)は同級生。キズキと直子は三歳の頃からの幼馴染で、いまや周りの公認のカップルだった。或る日キズキが自殺した。
ワタナベは東京の大学に進学した。時代は学生運動まっさかり、ワタナベは遊び人でオリジナリティに溢れる哲学をもった先輩・永沢(玉山鉄二)に羨望し、授業よりも読書と、バイトと先輩とのナンパに明け暮れる。
時代が古い(失敬)なので、ファッションが今とは全く異なるのですが、それが意外にハマります。意外に(失敬)お尻の小さい松ケンはハイウエストにピタッとしたズボンがよくお似合い。玉山クンは・・・やっぱ現実に大人のオトコなんでバックショット(を見て)=学生さん、というより・・・な感じ(失敬)。女性陣は皆さんやせっぽっち(失敬)なので70年代ファッションは(流石というべきか)とっても似合っていました。
ワタナベは偶然直子と出会う。懐かしさも手伝って二人の距離は縮まる。
直子は恋人のキズキが死んだことで心のバランスを崩しかけています。
ずっとずっと傍に居てすべてを委ねられる人、しかも幼い頃から一緒だった(時間とか関係ないとも思うけど)彼を自殺という形で失くした彼女の‘角砂糖がカップの底で端から崩れ落ちていく’様に狂気の沼に落ちていく凛子ちゃんの抑えた演技が良かったです。
「自殺」自体だけか彼女の開けてはいけない扉をノックさせたわけではなくもっと複合(ネタばれナイショ)的な所以なんですけどね。
繊細なゆえに、まだ未熟な人間ゆえに極身近な周辺はおろか自分さえも見えず、ぬくもりにだけに安心とその温かさゆえに離れた時の不安もさらに募らせていく。
・・・そういうのって些細なモノはどの人の心の底にもあるような気がします。
ワタナベはそんな直子をいとおしく思いつつも、若さゆえに他にも心揺るがす。ミドリ(水原希子)という奔放な行動と言動の同級生が現れた。
ミドリ役の水原ちゃんは番宣で見かけるイメージとは全く違う「それいゆ」とかに出てくる挿絵のお人形さんのような方でした。そんなお人形さんみたいな唇からあんなセリフを吐かせるのは品がない・・・もとい、世の中のおじさん達(ハルキ世代の方々・・・辛口あしからず)には堪らないでしょー。
ミドリちゃんって、本の中ではもっといろんなシーンで重要な役割があったんじゃないのかな、寂しくていろんな行動をしているんだとは思うんですけど、なんか‘ハスッパ’な印象(可愛いからそんなに感じないけど)しかなかったんですよね~残念。
時代設定が古いし、小説のセリフだからとってつけた様な話し方にも感じる事がありましたが、私はそんなに違和感はなかったですね。時代背景自体の雰囲気も悪くなかったです。
この作品のワタナベの棲む大学の中の学生達は今の様な環境とまったく違う。なので、その心理の本質を探るのはそこそこ大人の私でも難しいかもしれないです。
でも、10代最後から20代初めの性欲と恋愛に溺れ、悩める迷える青春として観ると、判り易い作品だったかも。
ただ、もっとワタナベの考えが滲み出る様子が欲しかったかな、淡々としてて冷めている感じで、達観しちゃってる風でもある。言葉も少ないし。あの感じが文字でもきっとそうなんでしょうけど、オンナ達の位置の明確さに比べ、曖昧模糊な彼の流され方に若さといい加減さと弱さは感じた。結局自分中心な男にもみえちゃった。それがイイのかな?
それにしても村上作品がもつ魅力とはなんなのだろう。嗜好の違いとはいえ心震えるなにかがあるのか期待したのですが、予想と反する感じ方だった様な・・・う~ん、やはり「文字」を追わないと味わえないのか。でも確かに「何か」はあった様に感じます。
そしてトラン監督の感性と美しい映像・音楽は素敵だったと思います。
京都の山奥(撮影は欧州だそうですが)は絵画のようでした。
(ワタナベが絶望で嘆き悲しむシーン、うっかり「ハリー」の放浪のシーンを思い出しちゃました。すみません・・・。)
村上氏はエルサレムのスピーチで「上手い嘘(小説を書いて)をついて、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができる。」と語りました。
それは「真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換える」のだそうです。そして「これを成功させるには、どこに真実が存在するのかを明確にしなければならず、このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのだ」そうです。
村上氏の中にワタナベがいたのか直子がいたのか、ミドリがいたのか。
嘘つきは泥棒の始まりならず、嘘つきは作家の始まり。なんて~。
バレバレの嘘つきをしまくられてた永沢の彼女ハツミさん役の 初音映莉子さんのクラシカルな上流階級のお嬢様の美しさが良かったです、彼女の今後に期待です。
「ノルウェイの森」ぴあ@映画生活
原作者は云わずと知れた村上春樹氏。私はタイムリーには勿論、未だこの原作を読んでいない(昨今コレを読んでいないと無教養なんだって・・・どうもスイマセン!)。
強いていうなら彼のエルサレム賞スピーチに感銘を受けたから、と好きな松ケンが主演なんだ・・・と興味があっての鑑賞です。観た感想は思いっきり恋愛・青春映画だな、という感じ。
↓ストーリーについては有名でしょうから、ネタバレとかないですよね。
ワタナベ(松ケン)とキズキと直子(菊地凛子)は同級生。キズキと直子は三歳の頃からの幼馴染で、いまや周りの公認のカップルだった。或る日キズキが自殺した。
ワタナベは東京の大学に進学した。時代は学生運動まっさかり、ワタナベは遊び人でオリジナリティに溢れる哲学をもった先輩・永沢(玉山鉄二)に羨望し、授業よりも読書と、バイトと先輩とのナンパに明け暮れる。
時代が古い(失敬)なので、ファッションが今とは全く異なるのですが、それが意外にハマります。意外に(失敬)お尻の小さい松ケンはハイウエストにピタッとしたズボンがよくお似合い。玉山クンは・・・やっぱ現実に大人のオトコなんでバックショット(を見て)=学生さん、というより・・・な感じ(失敬)。女性陣は皆さんやせっぽっち(失敬)なので70年代ファッションは(流石というべきか)とっても似合っていました。
ワタナベは偶然直子と出会う。懐かしさも手伝って二人の距離は縮まる。
直子は恋人のキズキが死んだことで心のバランスを崩しかけています。
ずっとずっと傍に居てすべてを委ねられる人、しかも幼い頃から一緒だった(時間とか関係ないとも思うけど)彼を自殺という形で失くした彼女の‘角砂糖がカップの底で端から崩れ落ちていく’様に狂気の沼に落ちていく凛子ちゃんの抑えた演技が良かったです。
「自殺」自体だけか彼女の開けてはいけない扉をノックさせたわけではなくもっと複合(ネタばれナイショ)的な所以なんですけどね。
繊細なゆえに、まだ未熟な人間ゆえに極身近な周辺はおろか自分さえも見えず、ぬくもりにだけに安心とその温かさゆえに離れた時の不安もさらに募らせていく。
・・・そういうのって些細なモノはどの人の心の底にもあるような気がします。
ワタナベはそんな直子をいとおしく思いつつも、若さゆえに他にも心揺るがす。ミドリ(水原希子)という奔放な行動と言動の同級生が現れた。
ミドリ役の水原ちゃんは番宣で見かけるイメージとは全く違う「それいゆ」とかに出てくる挿絵のお人形さんのような方でした。そんなお人形さんみたいな唇からあんなセリフを吐かせるのは品がない・・・もとい、世の中のおじさん達(ハルキ世代の方々・・・辛口あしからず)には堪らないでしょー。
ミドリちゃんって、本の中ではもっといろんなシーンで重要な役割があったんじゃないのかな、寂しくていろんな行動をしているんだとは思うんですけど、なんか‘ハスッパ’な印象(可愛いからそんなに感じないけど)しかなかったんですよね~残念。
時代設定が古いし、小説のセリフだからとってつけた様な話し方にも感じる事がありましたが、私はそんなに違和感はなかったですね。時代背景自体の雰囲気も悪くなかったです。
この作品のワタナベの棲む大学の中の学生達は今の様な環境とまったく違う。なので、その心理の本質を探るのはそこそこ大人の私でも難しいかもしれないです。
でも、10代最後から20代初めの性欲と恋愛に溺れ、悩める迷える青春として観ると、判り易い作品だったかも。
ただ、もっとワタナベの考えが滲み出る様子が欲しかったかな、淡々としてて冷めている感じで、達観しちゃってる風でもある。言葉も少ないし。あの感じが文字でもきっとそうなんでしょうけど、オンナ達の位置の明確さに比べ、曖昧模糊な彼の流され方に若さといい加減さと弱さは感じた。結局自分中心な男にもみえちゃった。それがイイのかな?
それにしても村上作品がもつ魅力とはなんなのだろう。嗜好の違いとはいえ心震えるなにかがあるのか期待したのですが、予想と反する感じ方だった様な・・・う~ん、やはり「文字」を追わないと味わえないのか。でも確かに「何か」はあった様に感じます。
そしてトラン監督の感性と美しい映像・音楽は素敵だったと思います。
京都の山奥(撮影は欧州だそうですが)は絵画のようでした。
(ワタナベが絶望で嘆き悲しむシーン、うっかり「ハリー」の放浪のシーンを思い出しちゃました。すみません・・・。)
村上氏はエルサレムのスピーチで「上手い嘘(小説を書いて)をついて、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができる。」と語りました。
それは「真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換える」のだそうです。そして「これを成功させるには、どこに真実が存在するのかを明確にしなければならず、このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのだ」そうです。
村上氏の中にワタナベがいたのか直子がいたのか、ミドリがいたのか。
嘘つきは泥棒の始まりならず、嘘つきは作家の始まり。なんて~。
バレバレの嘘つきをしまくられてた永沢の彼女ハツミさん役の 初音映莉子さんのクラシカルな上流階級のお嬢様の美しさが良かったです、彼女の今後に期待です。
「ノルウェイの森」ぴあ@映画生活
by bijomaru0330am | 2010-12-18 23:45 | 映画鑑賞