「愛を読むひと」を観る
2009年 06月 05日
今回観たスティーヴン・ダルドリー監督作品と私はかなり相性がいい。
どの作品も感動し何度も観たくなる内容だ。今回の「愛を読むひと」も静かな感動がそこはかとなく沸き、「良い作品をみた」と感じました。
↓ここからネタばれあり。原作「朗読者」はベストセラーなので知っている方もいるか。
1958年ドイツ、15歳のミヒャエル・ベルク(デヴィット・クロス)は路面電車の中で気分が悪くなっていた。たまらず降り路地で座り込むミヒャエル。それを見つけて介抱してくれたのは、その路地の近所に住む36歳の路面電車の車掌ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)だった。
まず配役がいい。でも、この作品二転三転したらしい。
ハンナを演じたウィンスレットはデカプリオとの共演作品の都合で降板したにも係らず、後釜のニコール・キッドマンは妊娠でこれまた降板。当初の監督の希望通り彼女が演じることになったとか。
そのお陰で、アカデミー主演女優賞を獲得したのだから、ニコールに感謝するべき(!?)か。いや、ニコールの降板時期を考えると撮影はかなりすすんでいた様なので、かなりの絡みが多かった若き少年ミヒャエルを演じた(多分なんどもあの演技を要求されたのなら、かなりのツワモノ)デヴィット・クロス少年に感謝すべきかな。
賞というのは自分独りで取れるものではないのだから。ハンナとの対峙がワンシーンのみの大人のミヒャエルはレイフ・ファインズ(ヴェルデモート卿♪)全てにおいて堅い。
ミヒャエルはしょう紅熱だった。しばしの安静の後、助けてもらったハンナにお礼をしにいくミヒャエル。美しい大人の女性に心みだれる少年。二人は関係を結ぶ。(結構露な脱ぎぷりです、ケイト!)
36歳の女と15歳の少年=子供。
個人的にはなんとなく文字だけでは嫌悪感を覚えるような組み合わせだが、映像はとにかく美しい。監督は少年の背中を撮らせたら天下一品なのではないか。「リトル・ダンサー」でもそうだったが、まだ大人になりきれない少年のすらりとのびた手足のしなやかさ、いやらしさは微塵も感じない。
「まずは本を読んでから・・・」ハンナはミヒャエルに朗読を頼むようになる。事の前にまず読書。ホメーロス、チェーホフ、漫画本も読んだ。歳は離れているものの、屈託なく求め合うふたり。勿論リードはハンナだが。
こんなアンバランスな関係がもつ訳はないのだ。観ている私達だって、機から聞いてる人だってそう思うだろう。ハンナ自身だってそうだ。ミヒャエルだけが子供ゆえに深くは理解出来ていないだけ。“年端がいかない”とはどうしてこうも眩しいのだろうか。
8年後に偶然出会った場所は法廷。法を学ぶ学生として傍聴席にミヒャエル。被告人席にハンナ。第二次大戦のヒトラーの爪あとがハンナを罪人にしていた。
私はハンナはもっとゲシュタポとか、自身で自覚のあったナチスの一味として登場するのかと思っていた。ミヒャエルの前から姿を消したハンナはアウシュビッツの看守として働いていたことを罪に問われたのだ。
苦しむミヒャエル。煙草の量がどんどん増え休廷の度にうつむき悩む。
このデヴィット・クロスがうつむき加減にタバコに火をつけるシーンで、一瞬彼がレイフに見えた。後から赤の他人と判ったが、その時は「(彼は)親戚?」と思ってしまった。・・・ドイツの俳優さんみたいだが、ハ○ウッドの金満にまみれることなく芸に精進してほしい。
何人も看守はいたのに、何かの力に翻弄されるようにハンナだけが終身刑になる。ミヒャエルは気づいていた。ハンナの刑を軽く出来るのは自分だ、と。ただ彼女を理解するが故に何も出来ない自分を責める。
大人になり立派な弁護士になったミヒャエル(レイフ)は結婚も離婚も経験した。娘もいる。だがそれは決して幸せな過程を辿らなかった。どこか心に空洞のあるミヒャエル。ファインズの演技力が光ります。
二人はどんな運命を辿るのかはぜひ劇場で。
「愛を読むひと」@映画生活
久しぶりにミヒャエルは実家に帰り、かつてハンナに読み聞かせた本の山をみつける。
アウシュビッツでも囚人に朗読をせがんだというハンナ。観ているものはすぐに気づくだろう、ハンナが読み書きが出来ない事を。
悲しいかな、それがその事をはっきり言えばハンナの罪は軽くなったのに。罪を受けるよりもその事実を世間に知られることを恥じたハンナ。未だに彼女は文盲を隠しているのだろうか。ミヒャエルはテープに吹き込んだかつて読み聞かせた物語を収監先に送り届ける。
なんの会話もない文通に似たやり取りが観客の涙を誘います。ハンナがメチャメチャながら生まれて初めて手紙を書くシーンは、あちこちからシュンシュンと鼻をすする音が。
ハンナが文盲とはかなり初めのシーンで気がつくんですよ、故になんとなく納得がいかない部分も。
車掌になるのは試験はなかったのか?筆記の試験はなくても契約書にサインくらい書く機会は何度でもあったのではないか、とか。
つまりは学校は勿論、ラブレターを書くような機会もまったくなかったのだろうか・・・。
無学とは、悲しいものだ。
しかし、世間に穢れていない分だけ20歳以上も歳の離れた少年と恋愛出来たのかも。
ハンナの裁判を傍聴した他の学生の意見や、アウシュヴィッツの生き残りの娘の生き方や考え方に一理を感じ、もう一度鑑賞してみたいな、と思いました。
どの作品も感動し何度も観たくなる内容だ。今回の「愛を読むひと」も静かな感動がそこはかとなく沸き、「良い作品をみた」と感じました。
↓ここからネタばれあり。原作「朗読者」はベストセラーなので知っている方もいるか。
1958年ドイツ、15歳のミヒャエル・ベルク(デヴィット・クロス)は路面電車の中で気分が悪くなっていた。たまらず降り路地で座り込むミヒャエル。それを見つけて介抱してくれたのは、その路地の近所に住む36歳の路面電車の車掌ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)だった。
まず配役がいい。でも、この作品二転三転したらしい。
ハンナを演じたウィンスレットはデカプリオとの共演作品の都合で降板したにも係らず、後釜のニコール・キッドマンは妊娠でこれまた降板。当初の監督の希望通り彼女が演じることになったとか。
そのお陰で、アカデミー主演女優賞を獲得したのだから、ニコールに感謝するべき(!?)か。いや、ニコールの降板時期を考えると撮影はかなりすすんでいた様なので、かなりの絡みが多かった若き少年ミヒャエルを演じた(多分なんどもあの演技を要求されたのなら、かなりのツワモノ)デヴィット・クロス少年に感謝すべきかな。
賞というのは自分独りで取れるものではないのだから。ハンナとの対峙がワンシーンのみの大人のミヒャエルはレイフ・ファインズ(ヴェルデモート卿♪)全てにおいて堅い。
ミヒャエルはしょう紅熱だった。しばしの安静の後、助けてもらったハンナにお礼をしにいくミヒャエル。美しい大人の女性に心みだれる少年。二人は関係を結ぶ。(結構露な脱ぎぷりです、ケイト!)
36歳の女と15歳の少年=子供。
個人的にはなんとなく文字だけでは嫌悪感を覚えるような組み合わせだが、映像はとにかく美しい。監督は少年の背中を撮らせたら天下一品なのではないか。「リトル・ダンサー」でもそうだったが、まだ大人になりきれない少年のすらりとのびた手足のしなやかさ、いやらしさは微塵も感じない。
「まずは本を読んでから・・・」ハンナはミヒャエルに朗読を頼むようになる。事の前にまず読書。ホメーロス、チェーホフ、漫画本も読んだ。歳は離れているものの、屈託なく求め合うふたり。勿論リードはハンナだが。
こんなアンバランスな関係がもつ訳はないのだ。観ている私達だって、機から聞いてる人だってそう思うだろう。ハンナ自身だってそうだ。ミヒャエルだけが子供ゆえに深くは理解出来ていないだけ。“年端がいかない”とはどうしてこうも眩しいのだろうか。
8年後に偶然出会った場所は法廷。法を学ぶ学生として傍聴席にミヒャエル。被告人席にハンナ。第二次大戦のヒトラーの爪あとがハンナを罪人にしていた。
私はハンナはもっとゲシュタポとか、自身で自覚のあったナチスの一味として登場するのかと思っていた。ミヒャエルの前から姿を消したハンナはアウシュビッツの看守として働いていたことを罪に問われたのだ。
苦しむミヒャエル。煙草の量がどんどん増え休廷の度にうつむき悩む。
このデヴィット・クロスがうつむき加減にタバコに火をつけるシーンで、一瞬彼がレイフに見えた。後から赤の他人と判ったが、その時は「(彼は)親戚?」と思ってしまった。・・・ドイツの俳優さんみたいだが、ハ○ウッドの金満にまみれることなく芸に精進してほしい。
何人も看守はいたのに、何かの力に翻弄されるようにハンナだけが終身刑になる。ミヒャエルは気づいていた。ハンナの刑を軽く出来るのは自分だ、と。ただ彼女を理解するが故に何も出来ない自分を責める。
大人になり立派な弁護士になったミヒャエル(レイフ)は結婚も離婚も経験した。娘もいる。だがそれは決して幸せな過程を辿らなかった。どこか心に空洞のあるミヒャエル。ファインズの演技力が光ります。
二人はどんな運命を辿るのかはぜひ劇場で。
「愛を読むひと」@映画生活
久しぶりにミヒャエルは実家に帰り、かつてハンナに読み聞かせた本の山をみつける。
アウシュビッツでも囚人に朗読をせがんだというハンナ。観ているものはすぐに気づくだろう、ハンナが読み書きが出来ない事を。
悲しいかな、それがその事をはっきり言えばハンナの罪は軽くなったのに。罪を受けるよりもその事実を世間に知られることを恥じたハンナ。未だに彼女は文盲を隠しているのだろうか。ミヒャエルはテープに吹き込んだかつて読み聞かせた物語を収監先に送り届ける。
なんの会話もない文通に似たやり取りが観客の涙を誘います。ハンナがメチャメチャながら生まれて初めて手紙を書くシーンは、あちこちからシュンシュンと鼻をすする音が。
ハンナが文盲とはかなり初めのシーンで気がつくんですよ、故になんとなく納得がいかない部分も。
車掌になるのは試験はなかったのか?筆記の試験はなくても契約書にサインくらい書く機会は何度でもあったのではないか、とか。
つまりは学校は勿論、ラブレターを書くような機会もまったくなかったのだろうか・・・。
無学とは、悲しいものだ。
しかし、世間に穢れていない分だけ20歳以上も歳の離れた少年と恋愛出来たのかも。
ハンナの裁判を傍聴した他の学生の意見や、アウシュヴィッツの生き残りの娘の生き方や考え方に一理を感じ、もう一度鑑賞してみたいな、と思いました。
by bijomaru0330am | 2009-06-05 23:45 | 試写会