「グラン・トリノ」を観る
2009年 04月 11日
今作品をもって俳優引退の意向を示した、今や大監督で今回はプロデューサーも勤めたクリント・イーストウッド主演の「グラン・トリノ」を観てきました。
「グラン・トリノ」とは100年に一度の不況でビッグはビッグでも「虫の息のBig3」(マツダ株が日本に帰ってきたっす、辛口あしからず)に甘んじているアメリカ最大級の自動車メーカー・フォードのビンテージ・カーの車種だそうです。
とにかく素晴らしかった、イーストウッドが!映画好きなら鑑賞必見!
背骨のシャンとしたクソ爺(役がね)のウォルト、ジッポ似合いすぎ。男の色気もまだまだたっぷりです。
↓ここからネタばれややあり。
場所は教会、ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)の老妻の葬儀。二人の息子と家族は嫌々参列しているようだ。何も亡き母が嫌いだった訳ではない。ウォルト自身の偏屈で口煩く、頑固な扱いづらいところが苦手で毛嫌いしているのだ。ウォルトも、ことごとく自分の意思と反する行動をする息子や軽薄な孫など、葬式でもなかったら来て欲しくないほど。ちょうどその日、隣の空家にアジア人の一家が越して来た。ウォルトのもっと腹の立つこと、それは町に多く入ってきた黄色人種の移民達の暮らしぶりだった。
若い牧師に悪態をつき、これ見よがしな弔辞も義理で聞いているだけ~、のウォルト。そうなるには理由があったはず。そういう過程や部分はそう描かれてはいない。ウォルトの心の傷は戦争での事だ、って事は再三語られるが。でもフォードの組立工で身を立てていたウォルトを親父に持つ息子がトヨタのセールスマンってことだけで、若い時分の暮らしぶりや親子関係が判ろう、というもの。
「遠くの親戚より、近所の他人」ですか?あとは「呉越同舟」。そんな話なんです。
話の内容は正直好きじゃない。っていうか、まず人種問題って日本人の、しかもほぼ100%日本人の中で教育されて育った私には理解しがたい。私見ですが、いい話でもなんでもナイんですよ、アメリカで暮らすには必須でしょうが、大いなる自由と引き換えに一生抱える問題かも。
でも、なーんか良かったです。心に響くものがあった。
すべてイーストウッドの演技が良かったんだと思います。しかし仲々ヒドいセリフのオンパレードなんですよ、罵声の浴びせあい、っていうか。「なんでもかんでもジャップかぶれしやがってっ(ガァァペッ←唾吐く)」・・・的な、差別用語&お世辞にも綺麗な言葉使いとは思えない言い草で、今回字幕作るのが一段と大変だったと思います(戸田さんお疲れ様です)。映倫に触れない字幕にしつつ、ウォルトの頑固な言葉やチンピラの口汚さを(勿論、字幕でも演技や声やしゃべり方で伝わって来るものもありますが)表現するのって指南と思います。
舞台になったミシガンでの白人、黒人、黄色人種等々、人種間のわだかまりや馬鹿にしあう言葉ってアメリカ語(英語ではなく)が出来ないとちょっと理解しがたい部分があると思うんですよね。
隣に越して来たタオ少年が、バカ従兄弟のスパイダーにそそのかされ嫌々ウォルトのグラン・トリノを盗もうとする。ウォルトに当然みつかる。また、タオの姉・スーをチンピラから助けるハメになったり、そのスーがタオの悪事を労働で詫びさせたいと預けてきたり、スー家族の民族の風習などにも触れちょっとづつ変わる偏屈爺の生活と心。
基本、人は悪くない爺さんなんですよ。ちょっと時代の流れに、ついて行くのが不得手なだけで。私は個人的にこの考え方や生き方賛成なので(姪に「ママより口煩い」とたまに言われます)結構ウォルトに共感しました。
↓鑑賞予定の方はここからパスで!
負のスパイラルを断ち切る為にとった行動は賛否両論だろう、宗教的にも意見が出てくるかも。
でも、相続の話で、家屋は教会の意思に、そして大事にしていたグラン・トリノは一番グラン・トリノの価値を理解出来る人に渡ったのが痛快でした。
葬式で泣きもしない(悲しくも思わないってコト。)身内に何も譲ることはない、と私は思う。日本ではそれでも権利を主張出来る。アメリカの遺言優先的なシステムは、とっても見習うべきこと、と思っている。
ウォルトは愛情を示す時期とタイミングがずれてしまっただけなのだ。グラン・トリノを愛した様にわずかづつ継続的に、妻や愛犬を愛おしくした様にささやかでも態度で示したら、淋しい(本人は気づいてないけど)思いをしなかったと思う。すべては戦地での出来事が心を捻じ曲げていたのか。
それにしてもイーストウッドは素晴らしかった。
「グラン・トリノ」@映画生活
「グラン・トリノ」とは100年に一度の不況でビッグはビッグでも「虫の息のBig3」(マツダ株が日本に帰ってきたっす、辛口あしからず)に甘んじているアメリカ最大級の自動車メーカー・フォードのビンテージ・カーの車種だそうです。
とにかく素晴らしかった、イーストウッドが!映画好きなら鑑賞必見!
背骨のシャンとしたクソ爺(役がね)のウォルト、ジッポ似合いすぎ。男の色気もまだまだたっぷりです。
↓ここからネタばれややあり。
場所は教会、ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)の老妻の葬儀。二人の息子と家族は嫌々参列しているようだ。何も亡き母が嫌いだった訳ではない。ウォルト自身の偏屈で口煩く、頑固な扱いづらいところが苦手で毛嫌いしているのだ。ウォルトも、ことごとく自分の意思と反する行動をする息子や軽薄な孫など、葬式でもなかったら来て欲しくないほど。ちょうどその日、隣の空家にアジア人の一家が越して来た。ウォルトのもっと腹の立つこと、それは町に多く入ってきた黄色人種の移民達の暮らしぶりだった。
若い牧師に悪態をつき、これ見よがしな弔辞も義理で聞いているだけ~、のウォルト。そうなるには理由があったはず。そういう過程や部分はそう描かれてはいない。ウォルトの心の傷は戦争での事だ、って事は再三語られるが。でもフォードの組立工で身を立てていたウォルトを親父に持つ息子がトヨタのセールスマンってことだけで、若い時分の暮らしぶりや親子関係が判ろう、というもの。
「遠くの親戚より、近所の他人」ですか?あとは「呉越同舟」。そんな話なんです。
話の内容は正直好きじゃない。っていうか、まず人種問題って日本人の、しかもほぼ100%日本人の中で教育されて育った私には理解しがたい。私見ですが、いい話でもなんでもナイんですよ、アメリカで暮らすには必須でしょうが、大いなる自由と引き換えに一生抱える問題かも。
でも、なーんか良かったです。心に響くものがあった。
すべてイーストウッドの演技が良かったんだと思います。しかし仲々ヒドいセリフのオンパレードなんですよ、罵声の浴びせあい、っていうか。「なんでもかんでもジャップかぶれしやがってっ(ガァァペッ←唾吐く)」・・・的な、差別用語&お世辞にも綺麗な言葉使いとは思えない言い草で、今回字幕作るのが一段と大変だったと思います(戸田さんお疲れ様です)。映倫に触れない字幕にしつつ、ウォルトの頑固な言葉やチンピラの口汚さを(勿論、字幕でも演技や声やしゃべり方で伝わって来るものもありますが)表現するのって指南と思います。
舞台になったミシガンでの白人、黒人、黄色人種等々、人種間のわだかまりや馬鹿にしあう言葉ってアメリカ語(英語ではなく)が出来ないとちょっと理解しがたい部分があると思うんですよね。
隣に越して来たタオ少年が、バカ従兄弟のスパイダーにそそのかされ嫌々ウォルトのグラン・トリノを盗もうとする。ウォルトに当然みつかる。また、タオの姉・スーをチンピラから助けるハメになったり、そのスーがタオの悪事を労働で詫びさせたいと預けてきたり、スー家族の民族の風習などにも触れちょっとづつ変わる偏屈爺の生活と心。
基本、人は悪くない爺さんなんですよ。ちょっと時代の流れに、ついて行くのが不得手なだけで。私は個人的にこの考え方や生き方賛成なので(姪に「ママより口煩い」とたまに言われます)結構ウォルトに共感しました。
↓鑑賞予定の方はここからパスで!
負のスパイラルを断ち切る為にとった行動は賛否両論だろう、宗教的にも意見が出てくるかも。
でも、相続の話で、家屋は教会の意思に、そして大事にしていたグラン・トリノは一番グラン・トリノの価値を理解出来る人に渡ったのが痛快でした。
葬式で泣きもしない(悲しくも思わないってコト。)身内に何も譲ることはない、と私は思う。日本ではそれでも権利を主張出来る。アメリカの遺言優先的なシステムは、とっても見習うべきこと、と思っている。
ウォルトは愛情を示す時期とタイミングがずれてしまっただけなのだ。グラン・トリノを愛した様にわずかづつ継続的に、妻や愛犬を愛おしくした様にささやかでも態度で示したら、淋しい(本人は気づいてないけど)思いをしなかったと思う。すべては戦地での出来事が心を捻じ曲げていたのか。
それにしてもイーストウッドは素晴らしかった。
「グラン・トリノ」@映画生活
by bijomaru0330am | 2009-04-11 23:45 | 試写会